トピックス
12月7日(土)、昨年に続き、山本由香子さん(パイプオルガン)、石田寛和さん(サックス)をお迎えし、平和学園小学校ハンドベルクラブの生徒も加わり、第38回パイプオルガンコンサートが開催されました。
ドイツ、フランス、イタリア等のクリスマス曲を司会者が背景を説明して下さり、パイプオルガンの重厚かつ素晴らしい演奏を深く鑑賞でき、目を閉じるとヨーロッパのクリスマス風景が目に浮かびました。
小学生のハンドベル部の演奏は、日ごろの練習成果を十分に発揮し、ピュアな心がベルの音色を通して感じられました。ソプラノサックスとパイプオルガンのデュエットを聞く機会はなかなかありませんが、二つの楽器の奏でる音色が見事なハーモニーを醸し出し、時々ジャズの要素も入り、素晴らしい演奏に魅了されました。
ご家族での参加も多く、お子様たちも含めて皆様が美しい音色の演奏を楽しまれたコンサートでした。
続きを読む
~開催予定です~
第38回 平和学園 クリスマスチャリティー
パイプオルガンコンサート
- 聖夜に届ける音楽の贈り物 -
日時:2024年12月7日(土) 13:30開演(13:00開場)
会場:平和学園賀川村島記念講堂
茅ヶ崎市富士見町5-2
入場無料(当日先着順)
※感染対策のため入場制限を行うことがあります。
連絡先:0467-87-0131
Emai:heiwagakuen@gamil.com
【プロフィール】
★山本由香子(Organ)
—————————————–
洗足学園大学音楽学部オルガン科卒業及び専攻科修了。オルガンを故奥田耕天氏に師事。
在学中に日本オルガニスト協会主催新人演奏会に出演。
ドイツ・ライプツィヒ・メンデルスゾーン音楽大学で研修。故W.シェーテリッヒ氏に師事。ライプツィヒ トーマス教会で修了演奏。
現在A.フーク(前チューリッヒ・フラウミュンスターオルガニスト)、H.U,ヒールシャー(ヴィースバーデン・マルクト教会オルガニスト)各氏に師事。
これまでにお茶の水キリスト教音楽院オルガン科講師。青山学院大学聖歌隊オルガニスト。明治学院大学オルガニストを務める。現在日本キリスト教団鎌倉雪ノ下教会オルガニスト。
チューリッヒ・フラウミュンスター(スイス)、ヴィースバーデン・マルクと教会(ドイツ)、シュランゲンバート・プロテスタント教会(ドイツ)の定期演奏会で演奏。
日本オルガニスト協会会員。
★石田寛和 (Saxophone)
—————————————–
5歳からピアノ、小学校からトロンボーンを始める。高校時代にサックスを始め、洗足学園大学サクソフォン専攻に進学。
サックスを服部吉之、大山日出男各氏に師事。2012年台中国際サックスコンペディション4位入賞。
これまで「trance katz」「Tokyo Pairs Express」として7枚のアルバムをリリース。うち4枚のアルバムが全日空国際線機内オーディオにてオンエア。
最新作は2021年パリ近郊で録音した「Tokyo Paris Express/Argian」
日本とフランスを行き来しつつボーダーレスな活動を行っている。
続きを読む
2024年6月28日開催されました総会において、平和学園小学校同窓会およびアレセイア湘南中学高等学校同窓会を解散し、新組織として平和学園アレセイア湘南校友会に統合を行うことになりました。
校友会は母校の幼稚園、小学校、中学校、高等学校に就学していたものを正会員として、会員相互の親睦と交流を図ることを目的とし、もって母校の発展に寄与する活動を行ってまいります。
今後とも皆様の支援を行ってまいりますのでよろしくお願いいたします。
新役員について
会 長 | 神尾元洋 |
副会長 | 山本成美 大澤瑛美 神戸寿美代 平嶺千尋 木股加与子 |
畠山朋美 森干城 近藤久統 鮑啓泰 夏村徳彦 | |
監 査 | 倉澤条太 |
顧 問 | 所澤保孝理事長 橘明子学園長 小林直樹校長 山口洋一郎 前理事長 |
続きを読む
平和学園・アレセイア湘南校友会の皆様へ
この度下記の通り総会(小学校同窓会と合同)の開催を通知いたします。
開催日 2024年6月28日(金)16:00
場 所 体育館2階中会議室
議 案
【小学校同窓会 】
1 2023年度収支決算及び事業報告に関する件
2 解散決議並びに新組織 平和学園・アレセイア湘南校友会への引継ぎおよび余剰金処理に関する件
【 校友会 】
1 2023年度収支決算及び事業報告に関する件
2 解散 決議 並びに新組織 平和学園・アレセイア湘南校友会への引継ぎおよび余剰金処理に関する件
【 新組織 平和学園・アレセイア湘南 校友会設立総会 】
1 平和学園・アレセイア湘南校友会会則について
2 役員選出について
3 活動計画ならびに収支予算書について
5月11日(土)グレースマーヤさん (Vocal, Piano) 、楠井 五月(Base)さん、菅野 知明(Drums)さんをお迎えし、第12回ジャズコンサートが開催されました。
ビートルズのCome Together をジャズ風にアレンジしたアップテンポな曲から始まり、有名な映画「ティファニーで朝食を」のテーマ曲、Moon Riverでは、思わず口ずさみそうになりました。オリジナル曲またサザンオールスターズやクイーンの歌も披露され幅広いジャンルを堪能。
マーヤさんの美しい歌声とピアノ演奏、そしてドラムとベースとの息のあったアンサンブルは素晴らしく、すっかりジャズの世界に引き込まれました。演奏の合間のマーヤさんのおしゃべりもとても楽しく、和やかな雰囲気のコンサートでした。
続きを読む
JAZZ LIVE CONCERT SHONAN 2024 12th
【開催日】 2024年5月11日土曜日
【開演】 13:30(開場 12:30)
【入場料】 2,000円(3/25 (月)から販売開始)
チケット取扱い
川上書店(茅ヶ崎ラスカ5F)
長谷川楽器店(茅ヶ崎雄三通り)
銀美堂(辻堂駅前通り)
センチュリー21(ヤマダ電機茅ヶ崎店向かい)
【会場】 平和学園賀川村島記念講堂 茅ヶ崎市富士見町5-2
【出演】
★グレースマーヤ(Vocal・Piano)
★ 楠井 五月(Base)
★ 菅野 知明(Drums)
【演目】
Moon River (Henry Mancini)
Body and Soul (Johnny green)
Come Together (Beatles) 他
※一部変更の可能性あり
【プロフィール】
★グレースマーヤ(Vocal・Piano)
—————————————–
3歳からクラシック・ピアノ、ヴァイオリン、バレエを習いはじめ、4歳で初めてのピアノ・コンクール入賞。9歳で夏期留学したパリではピアニスト、ルセット・デカーブ氏に師事。日本語、英語、ドイツ語、フランス語に堪能で、1997年にはドイツに留学。トップの成績で入学したドイツのフライブルグ国立音楽大学ピアノ部門卒業後、2001年、大学院に進学して音楽研究の研鑽を積む傍ら、コンサート活動を続ける。2003年帰国後は、ジャズ&ブルースをルーツにする実力派ピアニスト兼シンガーとしてライヴ活動を国内でスタート。愛くるしいキュートなルックスと持ち前の親しみやすいキャラクターで、忽ち人気者となる。また、低音の魅力を発揮したセクシー・ハスキー・ヴォイスは多くのファンを魅了している。
2006年10月に発売されたファースト・アルバム『The Look of Love』では、現在のジャズ・フュージョン・シーンをリードする若手ミュージシャンを起用し、「キャラヴァン」や「マイ・フェイヴァリット・シングス」などのスタンダード・ソングから「マイ・ウェイ」、「リボン・イン・ザ・スカイ」などのポップス曲まで幅広く歌い上げた。時代に捉われない新しい感覚がグレース・マーヤを印象付ける衝撃的なデビュー作となった。
2007年2月には老舗ジャズ・スポット「DUG」での最後を飾るライヴを収録したジャズ史に残るライヴ・アルバム『Last Live at DUG』を発売すると、早くも次作の制作に取り掛かり同年10月には、3枚目のアルバム『Just the Two of Us』を発表。アレンジャーにはポップス・シーンで数多くの有名アーティストを送り出してきた笹路正徳等を起用。待望のオリジナル楽曲を2曲収録し、ジャズ、ポップス、ソウル、ラテンと幅広いジャンルのヒット・ナンバーをヴォーカル・スタイルに徹して挑戦した意欲作となった。また、FM放送でのバイリンガル・パーソナリティが好評を得て、その隠された才能が開花した。
2008年7月には4枚目のアルバム『The Girl from Ipanema』を発売し、ボサ・ノヴァの新女王誕生とささやかれるような反響を得る。
2011年12月7日には彼女のデビュー5周年と共に5枚目のアルバム「ポインシアナ」を発売し、ドラムレスの癒しアルバム、ジャズの名曲の数々を暖かく、そして新しい風が吹くアレンジに仕上げられ、注目の一枚になっている。
2013年5月15日に6枚目のアルバム「Close To You」がDaiki Musicaから発売。今回も彼女のプロデュースで二作目となる。メンバーはPoincianaのアルバムのメンバーにドラムが入り、これはまた豪華な仕上がり。
2015年1月7日に7枚目のアルバム、”Season Songs”, King Recordのハイレゾルーションでの録音がCD
になって発売されました。
2016年7月6日に8枚目のアルバム、”Love songs for you” , King Recordのハイレゾルーションでの録音とCDが発売されました。
★ 楠井 五月(Base)
—————————————–
幼少期にエレクトーン、中学からエレキベースを演奏し、法政大学ジャズスタディクラブに入部後ポールチェンバースに憧れコントラバスを弾き始める。
井上陽介氏に師事し、在学中よりプロとして演奏活動を開始。
ジャズの伝統に根差した強靭なスウィングビートでバンドサウンドを固める。
2011年より辛島文雄(Piano)トリオ,クインテットに加入し二ヶ月に渡る全国ツアーに参加。
他には岡崎好朗(Trumpet),奥平真吾(Drums),谷口英治(Clarinet),TOKU(Vocal,Flugelhorn)各氏のバンドや他多数のセッションで活動中。
Vladimir Shafranov(Piano)を始めとして海外ミュージシャンの来日公演のサポートも数多く務める。
また、自身のバンド「ピアノトリオG」などのリーダーとしての活動も精力的に行っている。
★ 菅野 知明(Drums)
—————————————–
5歳でピアノを習い始め様々な楽器を経て14歳からドラムを叩き始める。
高校卒業後、東京コミュニケーションアート専門学校にてドラムの基礎を学ぶ。その後2000年にアメリカニューヨークに渡米。
2001年ニューヨークのニュースクール大学ジャズ アンド コンテンポラリーミュージックプログラム入学。在学中はレジーワークマン、レニー ホワイト、ジョジョ マイヤーなどに師事。2005年、同大学卒業。
その後はMKグルーヴオーケストラ、ザ ダガーブラザーズ、大江千里クインテッド、ベックバーガーグループ、サロン クレンショーバンドなどでドラムを担当。
現在までにゴードン エドワーズ、サム ヤヘル、グラント グリーンJr.、ジェイソン リンダー、マルコ ベネベントを初め、ニューヨークの様々なアーティスト達と競演。
その他にも現在までにブルーノート ニューヨーク、ブルーノート東京、同名古屋、55バー、ビターエンドなどのクラブ、ローチェスタージャズフェスティバル、シラキュースジャズフェスティバル、ハートフォードジャズフェスティバルなど様々なフェスティバルにも参加。
2006年にはJUJUの3枚目のシングル「奇跡を望むなら」のレコーディングにも参加。
2014年星空のライヴVllよりMISIAツアーに参加している。
12月9日(土)、山本由香子さん(パイプオルガン)、石田寛和さん(サックス)をお迎えし、一部平和学園小学校ハンドベルクラブの生徒も加わり、パイプオルガンコンサートが開催されました。
クリスマスの曲を中心としたパイプオルガンの演奏は、普段なかなか聞く機会がありませんが、重厚さの中にも優しい音を奏でとても素晴らしかったです。小学生のハンドベルの演奏は、子供たちのピュアな心がベルの音色に反映され、パイプオルガンとサックスとのコラボでは、心地よい音色が響き渡っていました。ソプラノサックスとパイプオルガンのデュエットでは、スタンダードからオリジナルの曲も含めて、時々ジャズの要素も感じる息の合った見事な演奏に魅了されました。
ご家族での参加も多く、お子様たちも含めて皆様が美しい音色と楽しいを思い出を胸に、会場を後にされたと思います。
続きを読むアメリカに渡って39年、バージニア大学に教職を得てから今年で33年になります。私が約60年前、平和学園で授かった宝物のような体験を思い出すと、今でも感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。
平和学園のどこがそんなに素晴らしかったのでしょうか?
個人を重んじ功利主義に囚われないヒューマニズムに満ちた教育方針、自由主義、ほとんど家族のような少人数制、教員にも生徒にもダイバーシティが重視されていたこと、音楽に満ちた日々等々、長所は数え切れません。
そんな中で私の後の人生に特に大きな影響があったと思うことが2つあります。素晴らしい自然環境と理科教育です。
無機質な塀に囲まれた敷地に規格通りの校舎と校庭がある「普通の」小学校とは異なり、平和学園の敷地はかなり広大な松林の中にありました。
教室から講堂や理科室へ移動する短い時間でさえ自然に浸ることができました。
小さい時から虫が好きだった私は、あの頃平和学園の校庭で出会った虫たちを今でも懐かしく思い出します(たとえば校舎脇の砂地にすり鉢状の巣を作るアリジゴクをよくマッチ箱に集めたものでした)。
理科の横山哲夫先生には、他の小学校では考えられないような破格なサイエンスショーを見せていただきました。
砂地の校庭の真ん中に置かれた炎全開の石油ストーブの上に、先生自ら作られた紙製の大きな熱気球を被せる野外実験。
ストーブの火が気球に燃え移ったら大変とハラハラしながら多くの生徒が見守りました。
熱膨張で空気の密度がどうのなどの講釈は一切ありませんでしたが、このような壮大なサイエンスショーによって物理の法則を我々の脳裏に焼き付けてくださいました。
また、横山先生が古タイヤを焚き火に投げ込み、大きな黒煙を上げたため消防車が飛んできた事件もありました。
先生は、多量のゴムを火に焚べるとどうなるかを生徒たちに見せたかったのかもしれません。
横山先生は私個人にも破格の「指導」をしてくださいました。今でもよく覚えているのは、理科準備室に私を招き入れ、ガラス細工に使うガソリンバーナーという道具の使い方を教えてくださったことです。
足踏み鞴(ふいご)で圧搾空気を作りガソリン蒸気と混合して高温の炎を得るという、一歩間違えば大火災を招きかねない大変危険なツールです。
手とり足取りの一通りの指導が終わると、いつでも好きな時に使っていいよと言われ、後日一人で理科準備室を訪れ溶けたガラス管を弄り回す喜びを存分に体験させてもらいました(今日では考えられないことですね)。
このような非日常的イベントに限らず、通常の授業や生活にあっても、平和学園の先生方は私達小学生に、まるで大人に話しかけるような言葉遣いで接してくださいました。
日本語の会話や教示には自然と上下関係が入り込み易く、学校教員はつい上から目線の言葉遣いになりやすいものですが、そうならなかったのは、学園理念の奥深くに個人の尊厳と平等を重んじ差別を否定する考えがあったからではないでしょうか。
このようにして育てて頂いた少しばかりの自己肯定感は、卒業後、社会と関わり育っていく上で大変大きな意味があったと思います。最近、国連人権理事会から「日本では、政治・経済・教育・メディアなど社会の隅々まで、差別と上下関係の力が浸透し、個人の尊厳が脅かされ、それを当然の事とする社会通念が固定化している。日本が国際社会に肩を並べるためには、日本社会は何よりもまずこれを正さなければならない」との衝撃的な提言がありました。周りの世界とは少し違う平和学園で小学校時代を過ごしたことで、私にはこの提言の意味が良くわかるような気がします。
卒業後、私は公立中学校、公立高校へと進みましたが、平和学園と大きく異なる環境にあっても(たとえば上下関係一色の運動部)、平和学園での体験を頼りになんとか自分の道を見つけることができたと思います。
小学校時代の動物との関わりのせいでしょうか、大学では生物学を、大学院では動物行動学を学びました。1984年にアメリカに移住してからは、コウモリのエコーロケーションや電気魚(電気でコミュニケーションをする魚)などの研究をし、現在はバージニア大学生物学部教授として、魚の感覚神経系の研究と動物行動学の教育に従事しています。動物行動学の講義では小学校時代にアリジゴクで遊んだ体験などを披露したりしています。
大学のDiversity, Equity, and Inclusion (多様性・公1平性・包括性)委員会では、アメリカの大学キャンパスにも未だに存在する様々な差別や不適切な上下関係と戦う仕事もしています。多様性と公平性を社会の至上価値とするアメリカ社会に、長く生活すればするほど、平和学園時代の特別な経験を有り難く思うこの頃です。
続きを読む1947(昭和22)年、平和学園中学校に入学し、初めて戦後の平和の時代を歩き始めた。もちろん駅からのバスなどなく、各自自転車通学をしていた。家から3分走ると田んぼが見え始め、続いて畑となり、途中の富永家やら、大石家の前を走り、やがて平和学園の裏門に着いた。
学校では授業より、何よりも昼のお弁当の時間が待ち遠しかった。数人で自転車に乗って海岸に走り、そこでお弁当を食べる楽しさは、今でも頭の奥に残っている。
最初は30名近くいたクラスメートも、時間が経つにつれ段々他校に転出していった。最終的に高校で残ったのは22名と思われる。この集団の絆が、高校を卒業しても「極光会」という名のもとに、以後50数年も続くのであった。それほど、男女を問わず、相互のつながりは密なものであった。当然、お互いの家庭に入り込み、ご両親はもちろん祖父祖母などとも楽しい時を過ごした仲間であった。
また、当時の小机の村島先生のお宅には、毎年お正月にはご挨拶に伺ったことを思い出すが、この行事は大学に入学後も数人連れだってご挨拶に伺うほど、村島先生及びご家族とは親密な交際を頂いた。
キリスト教教育は幼稚園時代から身に付いていたので、平和学園入学の際にも特に違和感はなく、なんとその幼稚園の園長さんであられた大橋牧師に平和学園で巡り合う奇跡にも恵まれた。
このように、我が青春は平和学園からの授かりものである。 感謝!!
村島校長との思いで
~開催予定です~
第37回 平和学園 クリスマスチャリティー
パイプオルガンコンサート
- 聖夜に届ける音楽の贈り物 -
日時:2023年12月9日(土) 13:30開演(12:30開場)
会場:平和学園賀川村島記念講堂
茅ヶ崎市富士見町5-2
入場無料(当日先着順)
※感染対策のため入場制限を行うことがあります。
連絡先:0467-87-0131
Emai:heiwagakuen@gamil.com
【プロフィール】
★山本由香子(Organ)
—————————————–
洗足学園大学音楽学部オルガン科卒業及び専攻科修了。オルガンを故奥田耕天氏に師事。
在学中に日本オルガニスト協会主催新人演奏会に出演。
ドイツ・ライプツィヒ・メンデルスゾーン音楽大学で研修。故W.シェーテリッヒ氏に師事。ライプツィヒ トーマス教会で終了演奏。
現在A.フーク(前チューリッヒ・フラウミュンスターオルガニスト)、H.U,ヒールシャー(ヴィースバーデン・マルクト教会オルガニスト)各氏に師事。
これまでにお茶の水キリスト教音楽院オルガン科講師。青山学院大学聖歌隊オルガニスト。明治学院大学オルガニストを務める。現在日本キリスト教団鎌倉雪ノ下教会オルガニスト。
チューリッヒ・フラウミュンスター(スイス)、ヴィースバーデン・マルクと教会(ドイツ)、シュランゲンバート・プロテスタント教会(ドイツ)の定期演奏会で演奏。
日本オルガニスト協会会員。
★石田寛和 (Saxphone)
—————————————–
5歳からピアノ、小学校からトロンボーンを始める。高校時代にサックスを始め、洗足学園大学サクソフォン専攻に進学。
サックスを服部吉之、大山日出男各氏に師事。2012年台中国際サックスコンペディション4位入賞。
これまで「trance katz」「Tokyo Pairs Express」として7枚のアルバムをリリース。うち4枚のアルバムが全日空国際線機内オーディオにてオンエア。
最新作は2021年パリ近郊で録音した「Tokyo Paris Express/Airgian」
日本とフランスを行き来しつつボーダーレスな活動を行っている。
続きを読む
5月13日(土)今回はグレースマーヤさん(Vocal, Piano) 、中村健吾(Bass Guitar)さん、横山和明(Drums)さんをお迎えし3年ぶりにジャズコンサートが開催されました。
スタンダードのジャズの曲から、オリジナルソング、桑田佳祐さんの歌、クイーンの曲にジェームズ・ボンドのテーマ曲を交えたり、幅広いジャンルを披露。美しい歌声とピアノ演奏、そしてドラムとベースとの見事なアンサンブルに魅了されました。演奏の合間のマーヤさんのおしゃべりも和かな雰囲気を醸し出し、子供から大人まで楽しめる素敵なコンサートでした。
続きを読むJAZZ LIVE CONCERT SHONAN 2023 11th
【開催日】 2023年5月13日土曜日
【開演】 13:30(開場 12:30)
【入場料】 3,000円(3月20日より販売開始)
【会場】 平和学園賀川村島記念講堂 茅ヶ崎市富士見町5-2
【出演】
★グレースマーヤ(Vocal・Piano)
★中村健吾(Bass Guitar)
★横山和明(Drums)
【演目】
Come together (Beatles)
Summer wind (Henry Mayer)
Moon river (Henry Mancini)
Lightning (Grace Mahya)
My favorite things
Ellie my love (southern all stars)
Sad Samba (Grace Mahya)
We will rock you (Queen)
Answer (Grace Mahya)
Moon dance (Van Morrison)
Hold on (Grace Mahya)
In the moment (Grace Mahya)
Body and soul (Johnny green)
※一部変更の可能性あり
【プロフィール】
★グレースマーヤ(Vocal・Piano)
—————————————–
3歳からクラシック・ピアノ、ヴァイオリン、バレエを習いはじめ、4歳で初めてのピアノ・コンクール入賞。9歳で夏期留学したパリではピアニスト、ルセット・デカーブ氏に師事。日本語、英語、ドイツ語、フランス語に堪能で、1997年にはドイツに留学。トップの成績で入学したドイツのフライブルグ国立音楽大学ピアノ部門卒業後、2001年、大学院に進学して音楽研究の研鑽を積む傍ら、コンサート活動を続ける。2003年帰国後は、ジャズ&ブルースをルーツにする実力派ピアニスト兼シンガーとしてライヴ活動を国内でスタート。愛くるしいキュートなルックスと持ち前の親しみやすいキャラクターで、忽ち人気者となる。また、低音の魅力を発揮したセクシー・ハスキー・ヴォイスは多くのファンを魅了している。
2006年10月に発売されたファースト・アルバム『The Look of Love』では、現在のジャズ・フュージョン・シーンをリードする若手ミュージシャンを起用し、「キャラヴァン」や「マイ・フェイヴァリット・シングス」などのスタンダード・ソングから「マイ・ウェイ」、「リボン・イン・ザ・スカイ」などのポップス曲まで幅広く歌い上げた。時代に捉われない新しい感覚がグレース・マーヤを印象付ける衝撃的なデビュー作となった。
2007年2月には老舗ジャズ・スポット「DUG」での最後を飾るライヴを収録したジャズ史に残るライヴ・アルバム『Last Live at DUG』を発売すると、早くも次作の制作に取り掛かり同年10月には、3枚目のアルバム『Just the Two of Us』を発表。アレンジャーにはポップス・シーンで数多くの有名アーティストを送り出してきた笹路正徳等を起用。待望のオリジナル楽曲を2曲収録し、ジャズ、ポップス、ソウル、ラテンと幅広いジャンルのヒット・ナンバーをヴォーカル・スタイルに徹して挑戦した意欲作となった。また、FM放送でのバイリンガル・パーソナリティが好評を得て、その隠された才能が開花した。
2008年7月には4枚目のアルバム『The Girl from Ipanema』を発売し、ボサ・ノヴァの新女王誕生とささやかれるような反響を得る。
2011年12月7日には彼女のデビュー5周年と共に5枚目のアルバム「ポインシアナ」を発売し、ドラムレスの癒しアルバム、ジャズの名曲の数々を暖かく、そして新しい風が吹くアレンジに仕上げられ、注目の一枚になっている。
2013年5月15日に6枚目のアルバム「Close To You」がDaiki Musicaから発売。今回も彼女のプロデュースで二作目となる。メンバーはPoincianaのアルバムのメンバーにドラムが入り、これはまた豪華な仕上がり。
2015年1月7日に7枚目のアルバム、”Season Songs”, King Recordのハイレゾルーションでの録音がCD
になって発売されました。
2016年7月6日に8枚目のアルバム、”Love songs for you” , King Recordのハイレゾルーションでの録音とCDが発売されました。
★中村健吾(Bass Guitar)
—————————————–
2才の時にクラシックギターを学び、17才からエレクトリックベースを始める。
1988年に渡米、バークリー音楽大学に入学。アコースティックベースに転向後、ベースの巨人チャールズ・ミンガスの音楽から多大な影響を受ける。在学中にプロフェッショナルパフォーマンス科ジョン・ナヴァス・スカラシップを受賞。
1991年、 バークリー音大を卒業後、ニューヨークへ移り、ジュリアード音学院の教授であるホーマー・メンチ氏に師事。
1994年、日米混合ユニットであるジャズ ネット ワークスに参加、ロイ・ハーグローヴ、ジェシー・デイビス、デビット・サンチェス、椎名豊、大坂昌彦と『イン ザ ムービー』(BMG)をレコーディング。
1997年、ウイントン・マルサリスが音楽監督であるリンカーンセンター・ジャズ・オーケストラに参加。同年ウイントン・マルサリスカルテットのメンバーとして、クリントン前大統領主催のプレジデントサミットにて演奏し、その模様は全米に中継された。
1998年3月、サイラス・チェスナット トリオに加入。
1999年11月、ウイントン・マルサリスのカルテットでハーレム野外コンサート、ジャズ@リンカーンセンターとチェンバー・ソサエティとのコラボレーションコンサートに参加。
2000年4月、渡辺貞夫カルテットツアーに参加、5月にニューヨークにて小曽根真とのデュオライブを行う。10月、ニューヨークにて小曽根真プロデュースによる、リーダーアルバムのレコーディングを行う。
2001年2月、デビューアルバム『ディヴァイン』(Verve)を発表。3月に小曽根真とデュオでの全国ツアーを行う。10月、ウイントン・マルサリス・セプテットのメンバーとして、東海岸のツアーに参加。12月、中村健吾バンド(池田篤、野本晴美、高橋徹)でリーダーとして初の日本公演を行う。
2002年2作目のリーダーアルバム『セイ・ハロー・トウ・セイ・グッバイ』(Verve)を発表。春の日本ツアーでは全国21カ所で公演。7月、ニューヨークのブルーノートで行われたイースト・ミーツ・ウエストのライブに自己のカルテットで出演(シャーマン・アービー、ロドニー・グリーン、ロブ・バガッド)。8月、中村健吾NYカルテット(アントニオ・ハート、ロドニー・グリーン、野本晴美)で「くっちゃんジャズフェスティバル」に出演。
2003年2月、大阪中之島公会堂でNORAをゲストに迎え、チャリティーコンサートを行い、伊藤君子をゲストに迎えた中村健吾〜後藤浩二デュオの東京公演を行う。4月には中村健吾〜ウエス・アンダーソンカルテット(野本晴美、高橋徹)で「Blues & Swing」全国ツアーを行う。
2005年、3作目のアルバム『ROOTS』(55 Records)を発表し、中村健吾NYクインテット(ウエス・アンダーソン、マーカス・プリンタップ、後藤浩二、高橋信之介)で全国ツアーを行う。
2008年、5作目のアルバム『Generations』を発表、片倉真由子、海野俊輔、クラレンス・ペンと共に全国30カ所のツアーを行う。
2010年5月、日本に活動の拠点を移し、これまでのリーダーアルバム5作品からコンパイルしたベスト盤『Rainbow』(55 Records)をリリース。
2012年10月、7作目のリーダーアルバム『Songs in My Life Time』(55 Records)をリリース。
グラミー賞にノミネートをされたウイントン・マルサリスのライブアルバム『 Live at the House of Tribes 』(Blue Note) ではクインテットのメンバーとして参加している。第53回スイングジャーナル誌日本ジャズメン読者人気投票に於いて、3年連続ベース部門第1位を獲得。
★Gene Jackson(Drums)
—————————————–
1979年、スティックを手にすると同時にプロのドラマーになる野心を抱いていたジャクソンは、名門バークリー音楽院に入学するためボストンに渡りました。バークリーで過ごした5年間で、ジーンは仲間や同級生に数えられるようになりました。
ボストン在住のJeff “Tain” WattsとLenora HelmがギタリストのKevin Eubanksを推薦し、BerkleeとのつながりがJacksonをプロへの道へと導いた。ジャクソンはボストン在住時にユーバンクスとレコーディングやツアーを行い、その後1987年にニューヨークに移り、ケヴィンと演奏を続けました。
1991年秋にハービー・ハンコックと仕事を始め、ザ・ハービー・ハンコック&ウェイン・ショーター・カルテットのツアーに参加しました。ジーンは2000年までハービーとの付き合いを続けた。
1993年から2000年にかけて、ハービー・ハンコックのグループは世界中をツアーしたが、多くのメンバーチェンジにもかかわらず、ジーンは常にドラマーの椅子に座っていた。
1999年以来、ジーンは世界中で様々なプロジェクトに携わっている。テナーサックス奏者のゲイリー・トーマスの作曲と演奏をフィーチャーしたドイツのNDRビッグバンドのツアーやレコーディングに数多く参加し、作曲家・編曲家のピーター・ハーボーンなど様々な指揮者のもとで演奏しています。2000年のハイライトは、クラーク・テリーを迎えたモントリオール・ジャズ・フェスティバル2000でのコンサートであり、最近では、グラミー賞にノミネートされたボーカリスト、カーラ・クックのラジオ放送で、素晴らしいテナーサックス奏者、編曲家、ボーカリストのランス・ブライアントの編曲による演奏を披露しています。
現在、演奏やレコーディング以外の時間は、ニューヨークのクイーンズ・カレッジのアーロン・コープランド音楽院で個人的に教えている。また、ニューヨークのDrummers Collectiveで長年にわたりワークショップと個人指導を行い、ニューヨーク州ロチェスターのEastman Universityでもワークショップを開催しています。海外でも、ドイツを中心に、デュッセルドルフのドラマーズ・インスティチュート、ハンブルグの音楽大学、エッセンのフォークワング大学などで教えています。また、毎年オーストリアのアルプスで開催されるProject Outreachというプログラムでも教えている。
~開催予定です~
第36回 平和学園
クリスマスチャリティー
パイプオルガンコンサート
聖夜の物語と音楽
~christmas for children~
日時:2022年12月10日(土) 13:30開演(12:30開場)
会場:平和学園賀川村島記念講堂
茅ヶ崎市富士見町5-2
入場無料(当日先着順)
※感染対策のため入場制限を行うことがあります。
連絡先:0467-87-0131
Emai:heiwagakuen@gamil.com
続きを読む
日時:2022年11月12日(土) 14:00~16:00
会場:平和学園賀川村島記念講堂
参加自由
記念礼拝
司会:藤本 朝巳 学園長
奏楽:鶴丸 富士子 先生
賛美歌
説教:岡崎 晃 先生
「村島 帰之 先生 ご生誕130年によせて」
座談会
「建学の精神を紡ぐ」 -村島帰之先生の記憶-
卒業生 吉田吉男(中高4回生・中1952高1955) 他
当日は合同同窓会を開催します。
この度、村島帰之先生ご生誕130周年にあたりお祈りを捧げ、平和学園に関わる皆様とともに建学の精神を改めて考える機会としたいと存じます。
村島先生から教わった当時の在学生がご高齢となり、その記憶が薄れようとしています。
当時、在学生らが村島先生から教わったや思い出、また、当時の平和学園の校風や先生そして子どもたちや家族がどのようにかかわりこの学園が運営されていたのか、当時を知る生の声を聞き村島先生の記憶を辿りながら、改めて「平和学園の建学の精神」に思いを巡らしたいと思います。
続きを読む
卒業生の皆様、お元気でしょうか。小学校を懐かしく思っていて下さることが、小学校の歴史をつなぐ私たちに大きな力となっています。このコロナ禍ではありますが、お近くにいらした際には、ぜひお立ち寄りください。
さて、今年度は新1年生12名を迎えて、学校生活がスタートしました。平和学園の特徴である縦のつながりが、今年度も友だちの花をたくさん咲かせています。初めての学校生活に不安を抱えた1年生。楽しそうに過ごす姿も見られます。時折、戸惑う姿や不安気な様子もあります。そのような時にどこからともなく、声をかけて、さりげない優しさで包んでくれる上級生がいます。子どもと子どもの間に優しい風が流れて、平和の空気で満たされています。この子どもたちの姿が、「平和を作り出す人々は幸いである」という学園聖句につながり、学校生活の中でしっかりと平和のバトンを繋げてきているのでしょう。
さて、平和学園では各部が毎年、一年間の支えとして年間聖句を定めています。小学校は一年間の終わりに次年度を見つめつつ、祈りを持って一つの聖句を選ぶとき、先生方の思いが込められ、み言葉が与えられています。2022年度はコロサイ信徒への手紙3章15節です。「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」 現在の社会で起きている様々な事柄に、心を痛める子どもたち。繰り返してはいけない戦争、予想もできない事故や事件、自然災害の恐ろしさも。小学校の子どもたちは、平和を思い、毎月「隣人を覚える礼拝」として、全校で祈る時を大切にしています。創立以来、村島先生、賀川先生がイエスさまに倣いてと歩んできた歴史を私たちはこれからも大事にしていきます。
今の時代によく言われている、「当たり前の大切さ」。朝起きて食事をし、体を動かして様々な事柄にチャレンジをする。日々の生活の中では、一つひとつ立ち止まって考えなくても流れる時間、日々の生活。その中で平和を作り出すという学園の使命を心に刻んで、これからも、児童とともに学園を大切にし、私たちの使命を繋げ続けていきたいと思います。どうぞこの一年間も皆様のご理解、ご支援をよろしくお願いいたします。
続きを読む
私は小学校2年生から平和学園小学校へ転校しアレアセイア湘南中学校、高等学校を卒業するまで11年間平和学園にお世話になりました。
小さい頃からものづくりが好きだったので色々なものを作りました。小学校の時、思い出に残る出来事があります。新聞紙で野球のグローブやバットなど用具を作り校内のウッドデッキで友達と野球を楽しんでいました。そこを通りかかった校長先生はグラウンドではなくウッドデッキで野球をしていたのに驚きグラウンドでするようにと注意されました。余りにも良くできていたので新聞紙でできているとは思わなかったそうです。学期末にはものづくりを通してみんなを楽しませることができたことを評して表彰状をいただきました。
また、小さい頃から続いているスポーツの中で今でも楽しんでいるものにテニスがあります。中学、高等学校では硬式テニス部に所属しテニスに打ち込みました。大学生の時にはテニスコーチのアルバイトをしてコーチングを学ぶことができました。現在は茅ヶ崎でテニスサークルを作り、運営しています。市民大会などで勝てるように楽しく練習してテニスを楽しんでいます。また、アレセイア高等学校のテニス部のコーチをさせていただいています。その関係で学校のテニスコートを利用して学生が大人のテニスを学べるきっかけのテニス大会を9月に開催することになり企画、ポスター作りや運営の準備などをしているところです。平和学園小学校、アレセイア湘南中学校、高等学校では、伸びやかに自分の好きなことを伸ばすことができた学校生活でした。
やはりものづくりをしたいという思いから東海大学の機械工学科に進みました。東海大学は創立者の松前重義によって平和学園と同様に世界平和実現のための人材育成を目指して作られた大学です。少人数の学校から大人数の大きなキャンパスでの学生生活を通して社会に出る前に様々な人たちと接する機会が持つことができ、とても良い経験となりました。
卒業後、海外へ留学する予定でしたが、コロナの状況が終息していないため父の仕事である写真事務所の手伝いをしています。方向性は違いますが、何かを作り上げることは、楽しく向いていると思っています。七五三、アパレルの撮影、プロフィール写真など人物を主に撮影しています。
昨年の秋に神社で百組以上の七五三の撮影をする機会に恵まれました。父親と先輩カメラマンに技術的ことや、写真撮影するうえでの心構え等、指導をしていただき、子どもたちの無邪気な姿を追いかけ、たくさんの可愛らしい写真を撮影することができました。思い出に残る写真となれば嬉しいと思っています。
お正月に鎌倉宮で巫女による「豊栄の舞」を撮影する機会がありました。その時の写真を父の勧めで日本写真家協会主催JPS展という写真コンテストに応募したところ、優秀賞を頂くことができました。4枚1組の組み写真で題名を「祈り」としました。
巫女、観客全員が現在の象徴的なイメージのマスクをしています。光が当たり輝く巫女と対照的に光が当たらない場所の暗く写っている観客のコントラストが印象的な写真となりました。コロナ渦で暗く沈んでいる心が早く明るい心へとなるように皆が祈っているように見えたことが「祈り」というタイトルの由来です。コロナにより大学卒業後の海外留学という予定は変わりましたが、そのおかげで、写真撮影の技術を学び経験を積むことが出来、賞をいただくことが出来たことは、僕の人生にとって大きな自信となりました。これからも、どんな状況や環境になっても、常に前向きな心を忘れずに頑張っていきたいと思います。
文中写真:日本写真家協会 写真公募展 第47回2022 JPS展 優秀賞 「祈り」2022年1月2日 大塔宮鎌倉宮にて撮影
続きを読む
はやりの?断捨離で卒業証書以外アルバムや写真を処分してしまいました。が、思い出はまだしっかりと記憶に残っているので思い出話を。
生まれも住まいも横須賀の私が、茅ケ崎の電車で1時間半もかかる平和学園に入学したいと思ったのは「制服が、かわいい!」と見学に行ったときに対応してくださった先生の礼儀正しさ。ぼんやりと「ここに入ろっかな~」から「絶対合格する」に変わった瞬間です。
私が入学したのは1986(昭和61)年4月。平和学園高等学校。先輩の制服は茶色。私たち新入生は紺ブレに千鳥のスカートで制服。1年の時は制服が先輩たちと違うわけですからとにかく目立つ。中学は休校中でしたので、全員入学試験を合格した生徒ばかり。数学、英語、理科はレベル別で教室が分かれていて、私が1年生でいた校舎は1年生6クラスの入っている2階建て。英語は6段階に分かれていてその6クラスが上を下への大移動。
1年生の時の教室は幼稚園の校舎が見えるところで、幼稚園の子たちが幼稚園の校舎の裏の傾斜を確か5人くらいで登って私たちの教室を窓越しにニコニコと覗いていたことがあります。ずいぶんのびのびとした幼稚園と思ったことと当時定期の学割の許可書をもらうのに歩く事務室への道をまたいで高校の校舎と幼稚園の校舎があってその小道から見ても傾斜が強いのによくもまぁ~幼稚園の先生の目の届かないところで高校の授業を見学に来たものだなぁ~と思ったものです。
1学期の体育は、校庭と体育館と先生が分かれていて校庭の体育の先生は、鈴木和具先生(ゴリさん)。みっちり、お辞儀の仕方を指導されました。入試を考え見学に行ったときに学校案内をしていただいたのも実はゴリさん。
毎月1回金曜日の、LHR.全校で漢字テストがあり1年から3年まで全員同じ50問。そのあとは「私たちのエチケット」という教科書を使いエチケットの授業。
この授業どちらも在校中に何か思ったことはありませんでしたが、高校卒業してすぐ就職した私はお辞儀の仕方やエチケットで会社から褒められ、感謝しました。
図書室も思い出が多い場所です。司書の先生が常にいて、お茶を出してくれて喫茶店のよう。特に本を読むわけではありませんが同級生と家が近いわけではないので下校時間ぎりぎりまでおしゃべりしたり宿題を一緒にやったり。テスト前には苦手な教科の(私は特に数学と英語でしたが)先生にお願いしてテスト範囲の分かっていないところを教えていただき放課後にもかかわらず、先生方もとことんまで付き合ってくださいました。
平和でのほかの学校と違うと思われる点は、毎日の礼拝。授業で教わったことのない先生でもどんな声でどんな感じで話しをするのかを知ったのは礼拝のおかげです。1,2,3年すべてに宿泊があること。せいぜい修学旅行だけと思われる宿泊。平和には、修養会という聖書を学ぶ宿泊があり授業の一環とはいえなんだか楽しいものでした。3年の宿泊でクラスの代表一人がみんなの前で作文を読むということに修養会前から取り組んでいて、いつも明るいあの子が実は退学をしようか悩んだこと、すごく仲良かった子が日本人と韓国人のハーフで小学3年の時に韓国から日本に来て小学1年に転入。だから実際は、みんなより3歳も上。日本語を覚えるのに国語辞典をノートに全部書いて必死に覚えたと、知りました。もし、修養会がなければ知らないままだったかもしれません。
私の高校時代は世の中の大きな変化にも直面した時代でもあり、入学したときは「国鉄」だった電車は、昭和の最後に「JR」に変更。卒業間際に「昭和」から「平成」に。チェルノブイリ原子力発電所の事故は1年生の修養会の最中でした。三原山の噴火、世界で「エイズ」という病気も深刻化して保健の授業でも学んだことを覚えています。
学校は、講堂にパイプオルガンが入り、学園創立40周年。土屋虎男先生がご逝去、その後校長だった飯野義子先生が学園長兼任。卒業式前日か前々日の礼拝でゴリさんが「私のことを『ゴリさん』と呼ぶ生徒がいなくなる」とおっしゃったのに驚き!真正面から「ゴリさん」と呼んでいる生徒はいなかったと思われますが、先生このあだ名気に入っていたんだ~と。(私の下の学年から「ガッツ」だったらしい)高校ですから、退学した同級生もいましたが、バイク事故で高校3年の12月クリスマスを目前に旅立ってしまった同級生。就職も決まっていたのに本人も後悔しているのではないかと今でも思います。
現在の藤本朝巳学園長、山田信幸中高校長は私が生徒の時の先生。藤本先生には直接教わったことはありませんが留学に行かれ教員になっても留学をする先生っているんだなぁ~と思った覚えがあります。
校友会で平和学園のお手伝いをさせていただき、50歳を過ぎた私でも当時の先生方がまだいらっしゃることは私学の強みだとつくづく思うのです。これからも平和学園を卒業した生徒という誇りを持ち人生を謳歌したいと考えております。
続きを読む
私は現在社会人2年目、建設会社で営業事務をしております。この会社に決めたのは、お世話になった先輩がこの会社に勤めていることと、スケールの大きな事業に関われることです。
今の業務には大学時代の経験が多分に活きていると感じています。私は大学4年間、日本一を目標に体育会ヨット部に所属しておりました。もともとヨット部を選んだのは、大学生活を過ごす中で何か1つの大きな目標を目指して努力する経験を得たかったからです。
1番の思い出は大学3年生の全日本大会で優勝できた瞬間です。大学1・2年生の時には残念ながら大会で敗れてしまい、非常に悔しい思いをしていました。優勝した瞬間「この日のために必死でやってきたんだ」という自負と嬉しさがありました。私は、コーチボートに乗って海況の情報収集を担当しておりました。コーチボートとは、ヨットの後方に伴走し、海況や他チームの状況を把握してコースの選択を指示する役目のモーターボートです。
「ヨット」という競技は風を上手く帆にはらませて、最短時間でゴールにたどり着くことを目指す競技です。「風」を原動力
に走らせるため、風の変化を逐一予測・把握する必要があります。過去5年間の風の情報を調査してエクセルにまとめたこともありました。ヨットは自然を相手にする競技であるため、風が吹かなければ走ることはできず、荒天では安全面に支障が出ます。だからこそ、常に視野を広く持つことが必要でした。視野を広く持って物事を考える経験が得られたのは良かったと思っています。
下級生の頃は、1階の普段食事やミーティングをするスペースで寝ていました。今までこのような経験をしたことがなく、睡眠もまともにとることができなかったため、肉体的にも精神的にも大変でした。
目標を持ってそれを達成するために努力する経験は今の仕事に活きています。タイムスケジュールと客先からの要望を満たすため、1つ1つ業務を行うことが大事だと感じました。厳しく指導していただいた先輩方や同期、ついてきてくれた後輩たちには感謝してもしきれません。
続きを読むアレセイア湘南テニス部の学生とコーチをつとめる平和学園卒業生の小林能伊さんらが中心となって企画したテニス大会を開催します。
学生・社会人のカテゴリーを超えたテニスの頂上決戦!
是非応援をお願い致します。
詳細はこちら⇒ https://it-tennis.com/shonanopen/
続きを読む故飯野義子先生の夫君で平和学園で美術の教職をとられたこともある故飯野江画伯の絵画18点を平和学園・アレセイア湘南のご卒業生にお譲りします。
ご希望者は以下の点をご確認の上、会員情報変更フォームより、お名前・メールアドレス・電話番号をご記入の上、「具体的な変更内容欄」に『飯野画伯絵画希望』とご記入の上、ご登録お願いします。
飯野家の連絡先を追ってメール返信致します。返信には2日程かかります。
なお、No.1、3、6、11、14、18 はご成約済みとなっております。
【確認事項】
①直接、飯野家へご連絡頂きご希望の下記のNo.番号と題名をお伝えください。
②実物をご確認されたい場合は、ご連絡の上直接ご訪問ください。
②絵画を直接引き取りに行けることが条件となります。(茅ヶ崎市美住町)
③絵画は先着順となります。譲渡済みの場合はご了承ください。
④校友会からは連絡先のご案内までとなります。
PDFで印刷されたい場合はこちらをクリックしてください。
※最新の絵の番号は下記からご確認お願い致します。
続きを読む
卒業生の皆様へ
校友会・小学校同窓会の合同総会を下記の通り開催させて頂きますのでご出席の程宜しくお願い申し上げます。
日時 2022年7月27日(水) 16:00から
場所 湧泉教会 茅ヶ崎市東海岸北1-7-4
地図 https://goo.gl/maps/cbbVbVUsd7A37htG7
議題
2021年度事業報告・決算報告
2022年度事業計画・事業予算
会議は距離を離して着席するため、会議形式とは違う形態になります。
会場は十分な換気を行います。
各自体調等を鑑み体調のすぐれない方は出席をご遠慮下さい。
マスクの着用をお願いします。
本日、平和学園クリスマスチャリティー・パイプオルガンコンサート 35thが開催されました。
250名のご参加を頂きました。
平和学園校友会パイプオルガン・レッスン受講生の塩澤真輝氏の演奏により、重厚なパイプオルガンの音色がホールに響きわたりました。
後藤香織氏、塩澤真輝氏、調律師の須藤親方
平和学園クリスマスチャリティー・パイプオルガンコンサート 35th
【開催日】 2021年12月11日土曜日
【開演】 13:30(開場 12:30)
【入場料】 無料 先着250名
※感染状況によって変更となる場合があります。
【会場】 平和学園賀川村島記念講堂 茅ヶ崎市富士見町5-2
※感染拡大防止のため入場制限を行います。
※ご来場時はマスク常用をお願いしております。
※最新開催情報は本サイトにて通知いたします。
※卒業生のお手伝い募集中です。卒業生は専用受付にお越しください。
初代学園長 村島帰之先生 墓参のご案内
日時 11月10日(水) 11時30分
場所 鎌倉霊園 区画 5区49番
時間までに直接お越しください。
森 090-1429-3575
鮑 090-2257-3675
<交通>
鎌倉駅より京急バス
鎌倉霊園正門前大刀洗行きまたは金沢八景行
鎌倉駅 10時35分、55分発
今年は平和学園は創立75周年
村島先生 生誕130年です。
是非、皆様のご参加をお待ちしております。
代々続く鰹節と鯖節の旨味の”出汁”を大切にしている、昭和27年創業の日本蕎麦屋です。蕎麦は毎日三代目息子が作る作りたてです。
角よしのお勧めをいくつか…
揚げたて海老の天ぷらとざる蕎麦のつけ天。大根おろし、とろろ、なめこ、わかめを冷蕎麦の上にのせた磯しぶき。カレー南蛮は冬も夏も人気です。天丼、かつ丼。丼と蕎麦なセットも用意しております。テーブル席のほか、お一人でも入りやすいようにカウンター席もあります。
横浜市瀬谷区三ツ境8-3 TEL 045-391-3037
(相鉄線三ツ境駅南口徒歩1分)で、お運びをお待ちしております。
続きを読む
神奈川県鎌倉市佐助には2つのランドマーク、佐助稲荷神社と銭洗弁財天があり、鎌倉駅からそこに向かう途中にお店を構えて今年で14年目となりました。私は豆と米が好きで、あんみつとおむすびのお店を出す事が夢でした。そこで東京の甘味店とおむすび店で勉強し、2007年に夢が現実となりました。開業二年目に“こまめ黒かん”→天草を煮て生姜と黒糖を加えたオンリーワンのスイーツを柱にすべて手作りでおもてなししています。
店の営業を続けると共に、佐助地域の活性化と住民との交流を目的にイベントの企画・運営をしようとお店のお仲間と計画し、夏のお祭り「鎌倉佐助のさんぽ市」が実現しました。それぞれのお店が限定メニューや体験教室、またスタンプラリーで景品が当たる!などの二日間で、令和1年には開催10回目を迎えました。
鎌倉に縁あって今日に至りますが、私は東京生まれ、茅ケ崎育ちです。
小学校から高校一年生まで平和学園(現アレセイア)で学びました。
昭和42年頃の校舎の周りは豊かな松林に囲まれ、海の匂いと風を感じる素晴らしい環境でした(唯一、松の木に付く毛虫の掃除当番は正に恐怖でした(笑))。
また、朝の礼拝は生徒全員で讃美歌を歌い、聖書を読み、祈る、生徒の時はルーティーンのように感じていましたが、それは自分自身を落ち着かせるとても大切な時間だったのだと後から気付きました。
平和学園高等学校1年を終了してから9年間、私は宝塚歌劇の世界で過ごしました。
日本物、洋物、ショーと、女性だけの夢の舞台を作るための稽古は厳しいですが、無事舞台の千秋楽を迎えられた時の達成感は次に進む勇気となり、様々な荒波を乗り越えた仲間との絆はその後の人生の力となっています。
令和二年、新型コロナウイルス感染拡大で、飲食店にもエンタメにもすべてにブレーキがかかりました。現在も先の見えない不安な毎日を過ごす日々ですが、こういう時こそ自分の心を落ち着かせる時間を持つことが大切だと感じています。
今回、原稿のご依頼を受け、平和学園での学生生活をいろいろ思い起こし、懐かしさと感謝の気持ちで一杯になりました。有難うございました。鎌倉にお越しの際は是非”こまめ
”にお立ち寄り下さい。
鎌倉市佐助1-13-1 TEL 0467-23-8334
(鎌倉駅西口徒歩8分 鎌倉税務署向かい)
続きを読む
茅ヶ崎の雄三通りにAKASIYAというブティックがあります。スーパーたまやの角を入ったところにパン屋さんのPankeyがあります。平和学園ゆかりのご夫婦のこの二つのお店を取材してきました。
昭和25(1950)年に平和学園小学校を卒業した
中島巌さんは会社勤めをしていた30代半ばにパンに興味を持って、独学でパン作りを習得し、会社を辞めて、香辛料や雑穀を使った健康志向のパンを作って売るお店Pankeyを開きました。年を取ってからは息子さんが後を継いで、無添加にこだわったパンを作っています。
妻の登代子さんはPankeyと相前後して、好きだったファッションのお店AKASIYAを開店しました。一
趣味の音楽を楽しむため、お店の2階はスタジオにして、バンド演奏をしたり、カラオケで仲間と歌ったり…
…おいしいものと素敵な音楽を愛して、巖さんは今年の7月28日に永眠されました。
PankeyとAKASIA(来年50周年https://akasiya.co.jp)を応援してくださいね。
Pankey 茅ヶ崎市東海岸北3-1-1
AKASIYA 同1-3-1
続きを読む
JAZZ LIVE CONCERT SHONAN 2023 11th
【開催日】 2023年5月13日土曜日
【開演】 13:30(開場 12:30)
【入場料】 3,000円(3月15日より販売開始)
【会場】 平和学園賀川村島記念講堂 茅ヶ崎市富士見町5-2
【出演】
★グレースマーヤ(Vocal・Piano)
★中村健吾(Bass Guitar)
★Gene Jackson(Drums)
【プロフィール】
★グレースマーヤ(Vocal・Piano)
—————————————–
3歳からクラシック・ピアノ、ヴァイオリン、バレエを習いはじめ、4歳で初めてのピアノ・コンクール入賞。9歳で夏期留学したパリではピアニスト、ルセット・デカーブ氏に師事。日本語、英語、ドイツ語、フランス語に堪能で、1997年にはドイツに留学。トップの成績で入学したドイツのフライブルグ国立音楽大学ピアノ部門卒業後、2001年、大学院に進学して音楽研究の研鑽を積む傍ら、コンサート活動を続ける。2003年帰国後は、ジャズ&ブルースをルーツにする実力派ピアニスト兼シンガーとしてライヴ活動を国内でスタート。愛くるしいキュートなルックスと持ち前の親しみやすいキャラクターで、忽ち人気者となる。また、低音の魅力を発揮したセクシー・ハスキー・ヴォイスは多くのファンを魅了している。
2006年10月に発売されたファースト・アルバム『The Look of Love』では、現在のジャズ・フュージョン・シーンをリードする若手ミュージシャンを起用し、「キャラヴァン」や「マイ・フェイヴァリット・シングス」などのスタンダード・ソングから「マイ・ウェイ」、「リボン・イン・ザ・スカイ」などのポップス曲まで幅広く歌い上げた。時代に捉われない新しい感覚がグレース・マーヤを印象付ける衝撃的なデビュー作となった。
2007年2月には老舗ジャズ・スポット「DUG」での最後を飾るライヴを収録したジャズ史に残るライヴ・アルバム『Last Live at DUG』を発売すると、早くも次作の制作に取り掛かり同年10月には、3枚目のアルバム『Just the Two of Us』を発表。アレンジャーにはポップス・シーンで数多くの有名アーティストを送り出してきた笹路正徳等を起用。待望のオリジナル楽曲を2曲収録し、ジャズ、ポップス、ソウル、ラテンと幅広いジャンルのヒット・ナンバーをヴォーカル・スタイルに徹して挑戦した意欲作となった。また、FM放送でのバイリンガル・パーソナリティが好評を得て、その隠された才能が開花した。
2008年7月には4枚目のアルバム『The Girl from Ipanema』を発売し、ボサ・ノヴァの新女王誕生とささやかれるような反響を得る。
2011年12月7日には彼女のデビュー5周年と共に5枚目のアルバム「ポインシアナ」を発売し、ドラムレスの癒しアルバム、ジャズの名曲の数々を暖かく、そして新しい風が吹くアレンジに仕上げられ、注目の一枚になっている。
2013年5月15日に6枚目のアルバム「Close To You」がDaiki Musicaから発売。今回も彼女のプロデュースで二作目となる。メンバーはPoincianaのアルバムのメンバーにドラムが入り、これはまた豪華な仕上がり。
2015年1月7日に7枚目のアルバム、”Season Songs”, King Recordのハイレゾルーションでの録音がCD
になって発売されました。
2016年7月6日に8枚目のアルバム、”Love songs for you” , King Recordのハイレゾルーションでの録音とCDが発売されました。
★中村健吾(Bass Guitar)
—————————————–
2才の時にクラシックギターを学び、17才からエレクトリックベースを始める。
1988年に渡米、バークリー音楽大学に入学。アコースティックベースに転向後、ベースの巨人チャールズ・ミンガスの音楽から多大な影響を受ける。在学中にプロフェッショナルパフォーマンス科ジョン・ナヴァス・スカラシップを受賞。
1991年、 バークリー音大を卒業後、ニューヨークへ移り、ジュリアード音学院の教授であるホーマー・メンチ氏に師事。
1994年、日米混合ユニットであるジャズ ネット ワークスに参加、ロイ・ハーグローヴ、ジェシー・デイビス、デビット・サンチェス、椎名豊、大坂昌彦と『イン ザ ムービー』(BMG)をレコーディング。
1997年、ウイントン・マルサリスが音楽監督であるリンカーンセンター・ジャズ・オーケストラに参加。同年ウイントン・マルサリスカルテットのメンバーとして、クリントン前大統領主催のプレジデントサミットにて演奏し、その模様は全米に中継された。
1998年3月、サイラス・チェスナット トリオに加入。
1999年11月、ウイントン・マルサリスのカルテットでハーレム野外コンサート、ジャズ@リンカーンセンターとチェンバー・ソサエティとのコラボレーションコンサートに参加。
2000年4月、渡辺貞夫カルテットツアーに参加、5月にニューヨークにて小曽根真とのデュオライブを行う。10月、ニューヨークにて小曽根真プロデュースによる、リーダーアルバムのレコーディングを行う。
2001年2月、デビューアルバム『ディヴァイン』(Verve)を発表。3月に小曽根真とデュオでの全国ツアーを行う。10月、ウイントン・マルサリス・セプテットのメンバーとして、東海岸のツアーに参加。12月、中村健吾バンド(池田篤、野本晴美、高橋徹)でリーダーとして初の日本公演を行う。
2002年2作目のリーダーアルバム『セイ・ハロー・トウ・セイ・グッバイ』(Verve)を発表。春の日本ツアーでは全国21カ所で公演。7月、ニューヨークのブルーノートで行われたイースト・ミーツ・ウエストのライブに自己のカルテットで出演(シャーマン・アービー、ロドニー・グリーン、ロブ・バガッド)。8月、中村健吾NYカルテット(アントニオ・ハート、ロドニー・グリーン、野本晴美)で「くっちゃんジャズフェスティバル」に出演。
2003年2月、大阪中之島公会堂でNORAをゲストに迎え、チャリティーコンサートを行い、伊藤君子をゲストに迎えた中村健吾〜後藤浩二デュオの東京公演を行う。4月には中村健吾〜ウエス・アンダーソンカルテット(野本晴美、高橋徹)で「Blues & Swing」全国ツアーを行う。
2005年、3作目のアルバム『ROOTS』(55 Records)を発表し、中村健吾NYクインテット(ウエス・アンダーソン、マーカス・プリンタップ、後藤浩二、高橋信之介)で全国ツアーを行う。
2008年、5作目のアルバム『Generations』を発表、片倉真由子、海野俊輔、クラレンス・ペンと共に全国30カ所のツアーを行う。
2010年5月、日本に活動の拠点を移し、これまでのリーダーアルバム5作品からコンパイルしたベスト盤『Rainbow』(55 Records)をリリース。
2012年10月、7作目のリーダーアルバム『Songs in My Life Time』(55 Records)をリリース。
グラミー賞にノミネートをされたウイントン・マルサリスのライブアルバム『 Live at the House of Tribes 』(Blue Note) ではクインテットのメンバーとして参加している。第53回スイングジャーナル誌日本ジャズメン読者人気投票に於いて、3年連続ベース部門第1位を獲得。
★Gene Jackson(Drums)
—————————————–
1979年、スティックを手にすると同時にプロのドラマーになる野心を抱いていたジャクソンは、名門バークリー音楽院に入学するためボストンに渡りました。バークリーで過ごした5年間で、ジーンは仲間や同級生に数えられるようになりました。
ボストン在住のJeff “Tain” WattsとLenora HelmがギタリストのKevin Eubanksを推薦し、BerkleeとのつながりがJacksonをプロへの道へと導いた。ジャクソンはボストン在住時にユーバンクスとレコーディングやツアーを行い、その後1987年にニューヨークに移り、ケヴィンと演奏を続けました。
1991年秋にハービー・ハンコックと仕事を始め、ザ・ハービー・ハンコック&ウェイン・ショーター・カルテットのツアーに参加しました。ジーンは2000年までハービーとの付き合いを続けた。
1993年から2000年にかけて、ハービー・ハンコックのグループは世界中をツアーしたが、多くのメンバーチェンジにもかかわらず、ジーンは常にドラマーの椅子に座っていた。
1999年以来、ジーンは世界中で様々なプロジェクトに携わっている。テナーサックス奏者のゲイリー・トーマスの作曲と演奏をフィーチャーしたドイツのNDRビッグバンドのツアーやレコーディングに数多く参加し、作曲家・編曲家のピーター・ハーボーンなど様々な指揮者のもとで演奏しています。2000年のハイライトは、クラーク・テリーを迎えたモントリオール・ジャズ・フェスティバル2000でのコンサートであり、最近では、グラミー賞にノミネートされたボーカリスト、カーラ・クックのラジオ放送で、素晴らしいテナーサックス奏者、編曲家、ボーカリストのランス・ブライアントの編曲による演奏を披露しています。
動画は世界5カ国の演奏者の協力のもと昨年のクリスマスイブに配信されました。
You Tube配信にあたって、チャリティーコンサートにご理解を頂いた多くの皆様より寄付金を頂き、各施設に寄付をさせて頂きましたのでここにご報告いたします。
チャリティーにご協力頂きました皆様には心より御礼申し上げます。
<寄付先>











ヨーロッパ・イベリア半島の沖合1500km、大西洋の真ん中に浮かぶ島、ポオルトガルのアザレス諸島にお住いの柳田幸子様(小50中53高56卒)から、クリスマスカードが維持会費と共に届きました。
新型コロナの影響で航空便事情が悪く、郵便が届くのに1か月以上かかったようです。
遠い地から平和学園を見守って頂きありがとうございます。
続きを読む

10月16日 同窓生ボランティアスタッフのご協力で、会報『まつかぜ』を郵送しました。
まもなく皆さんのお手元に届くかと存じます。
現在、会報「まつかぜ」の書面での発送は、事務局で住所を把握している小学校卒業生が中心になっていますが、幼稚園や中高卒業生のご希望者にも発送しております。
会報の届かない方、また、新たに発送をご希望の方は「会員情報変更届け」から、ご住所の登録を行ってください。
”まつかぜ発送希望”と記入ください。
当ホームページにも掲載内容を同窓生だよりとしてアップしております。
『まつかぜ』とは?
1981(昭和56)年9月1日付けで平和学園小学校同窓会連絡誌「まつかぜ」1号が発行されました。小学校職員の編集になるもので、平和学園草創期からの先生方がまだ勤務されていた時代です。その後1990(平成2)年まで、毎年9月に第10号まで発行されました。このシリーズを第1期としました。
1991年から、当時一体となって活動していた小学校同窓会と中学校同窓会の会報として、1992年9月、1994年10月、1996年8月に3報が発刊されましたが、1996年10月の平和学園創立50周年記念同窓会開催以後しばらく途絶えていました。このシリーズを第2期としました。
小学校同窓会会長が大石茂生氏(小50中53)から山口洋一郎氏(小59)に代わって、2003(平成15)年4月20日付けで小・中同窓会会報「まつかぜ」新1号として再刊され、早くも2003年9月には新2号が出ました。その後毎年発行を続け、中学校同窓会が分離した2008年(新7号)からは小学校同窓会会報として発行し、11号からは“新”を外して、2019(令和1)年に第18号を発行しました。このシリーズを第3期としました。
そして今年、平和学園とアレセイア湘南全卒業生に向けての校友会会報として第4期のシリーズを始めることになりました。
これまで、「まつかぜ」は小学校同窓会が住所を把握している会員宛に郵送してきました。本号はこれまで通りの郵送と、卒業生の手に、目に触れる機会を探って、できるだけ広く配布するつもりです。校友会ホームページにも掲載します。郵送を希望される方は「会員情報変更届け」からご住所の登録を行ってください。
続きを読む
この春に学園長に就任致しました藤本朝巳です。私は1982~1994年(12年間)、平和学園高校(現在のアレセイア湘南)に英語教師として勤めていました。その後、しばらく大学院での学びの時を経て、同じキリスト教主義のフェリス女学院大学文学部英文科に20年間奉職し、この度、古巣の平和学園に戻ってきました。26年ぶりですが学園の建学の精神は変わっていません。先達の教えを引継ぎ、経験豊かな教職員、新しい時代に生きる若い教職員と共に、学園の教育理念を尊重して励んでいきたいと願っています。
就任早々に教職員に語ったことは、聖書に基づき、『互いに仕え合う』ということでした。「新約聖書」エフェソの信徒への手紙、5章21節に「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい」と記されています。この場合の「仕える」とは、一方が主で、他方はそれに従うという意味ではありません。共に神の前に立ち、同じ方向を向いて一緒に歩んでいく、という意味です。キリスト教精神の下の教育機関では、神の恵みのもと、神への畏れをもって互いに仕え合うことが求められているのです。
さて、「緊急事態宣言」後、生命と健康を守るため、子ども園の一部を除いて、一斉休校にせざるを得なくなりました。園児・児童・生徒のみなさんには自宅待機・学習をお願いし、教職員も交代で在宅勤務とし、情報収集しながら万全の対策を練ってやってきました。この間に全学でon line 授業の態勢を整えました。現在は中高の全教室にプロジェクター、スクリーンなどの設備が完備し、小学校にも全児童へタブレットを配布します。今後も情報教育環境を整え、しっかり力を入れていきたいと思います。この間のご家庭のご理解、ご協力を感謝しています。
学園施設としては、大きな幼稚園舎が完成しました。現在は広い園舎でお子さんたちが楽しくすごしています。一方、小学校には工事期間中、運動場がない状態でしたが、旧幼稚園舎及びグラウンド跡に広い運動場が完成しました。自動スプリンクラー、周囲には高いネットも完備し、大きな運動用具倉庫、放送設備もそろえました。まもなく鉄棒やバスケット、サッカーのゴールなども設置されます。二学期からは広々とした運動場で、全学の子どもたちに伸び伸びと使って欲しいと願っています。
短い夏休みでしたが、8月末に学園研修会を開催しました。今年度のテーマは「学園の将来計画」でした。一つは「学園の連携を強め、深めていくために「〔幼〕から〔小〕へ、〔小〕から〔中〕へ、〔中〕から〔高〕へ進みたくなるような、夢のある取り組みを考える」とし、もう一つは、「コロナ後の社会や教育の変化を、学園の教育にどのように取り入れ、生かしていくか」でした。それに先立ち、学園では〈全学的将来計画委員会〉を立ち上げ、学園の将来について話し合ってきました。二学期からはさらに小部会を設置し、具体的に進めていく予定です。特に「グローバル教育」と「情報教育」には力を入れていく予定です。
現代は想像もしないことが頻繁に起こります。毎年、大きな自然災害が起こります。人類はコロナのような未曾有の災いとも、共生していかねばならぬ時代になったのです。今後は after コロナ対策を講じていく所存です。コロナの終息に、また経済的な回復には数年を要するといわれていますが、情報を収集し、専門家のお知恵も借りながら、全学の教育に邁進していきたいと願っています。
中国に「人間万事塞翁が馬」という故事があります。昔、中国に塞翁という老人がいて、ある日、馬が逃げ出します。近所の人が気の毒に思って慰めると、老人は平然と「これが幸福のもとになるかもしれん」と答えます。しばらくすると逃げた馬が、名馬をたくさん引き連れて戻ってきました。近所の人から祝いの言葉をもらうと、塞翁は「これが禍のもとになるかもしれん」と答えます。すると、馬に乗っていた塞翁の息子が落馬して骨折し、足に障害が残ってしまいます。さぞや老人が嘆き悲しんでいるだろうと、近所の人が見舞いに行くと、塞翁は「これが幸福のもとになるかもしれん」と答えます。さて、その翌年、隣国との戦争が始まりました。国の若者は戦闘に駆り出され、ほとんど亡くなってしまいますが、息子は足の障害のため兵役を免れ、戦死せずに済みました。人生における幸・不幸は予測できないことをあらわす故事です。
私たちはマイナスの状態をプラスに切り替えながら生きていくべきです。失敗や落ち込みから立ち直っていく逞しさ、厳しい人生に対する底力といいますか、塞翁の生き方から学ぶべきことがあると思います。平和学園では、成功しても油断せず、失敗しても落ち込まず、未来に向けて進んでいきたいと願っています。卒業生の方々のご理解ご支援を、引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。
学校法人平和学園 学園長 藤本 朝巳
続きを読む
私は、キリスト教主義学校を求めた就職活動を経て、学校法人平和学園高等学校に採用が決まりました。
最初の2年間は、平和学園小学校の職員室にも席がありました。私の教科は、保健体育です。小学校4年生の体育の後に、高校3年生の体育の授業を行いますと、年齢差もあり、指導のやり方が声掛けひとつでも違うことに戸惑うこともありました。それでも児童も生徒も明るく生き生きと成長する過程に携われたことは感謝すべきことでした。
その頃から35年程過ぎた頃の出来事です。あるパン屋さんで販売の方から「山田先生ですよねえ」と声を掛けられました。「はい、そうです。」と答えると、「先生が平和学園に勤められた時に、実はわたし、平和学園小学校の5年生でした。覚えていらっしゃいますか」と尋ねられました。確かにその方の顔つきや声に当時の面影がしっかりと残っていました。思いがけない再会に、その時代に手作りのサッカーゴールで休み時間にグラウンドで遊んだことや理科の実験で飛ばした熱気球のことなどを、走馬灯のように思い出すことができました。
また、平和学園幼稚園には、我が子がお世話になりました。幼少期に伸び伸びと遊び、友達と交わることにより、心身ともに成長させていただきました。その頃の園児が、卒園して10年後にアレセイア湘南中学校の一期生として入学してきました。彼らとは総合学習でのゴルフや部活などで数々の経験ができました。
私が教師として学ばせていただいたことの中で印象深いのは担任だった時代です。担任としてクラスの生徒と関われたのは、朝と帰りのホームルームです。「おはよう」という挨拶から始まり、帰りのホームルームで「さようなら」と、一日に最低2回顔を合わせることができました。ほんの短い時間でしたが、担任としては、「私たち一人ひとりは神の愛によって生かされているということ」を生徒たちに伝える場として大切にしてきました。クラスの生徒たちは十人十色、はっきりものが言える子、言えない子、それらの違う色が交じり合ってクラスというキャンパスにどんな作品が描かれるのかが楽しみでした。クラスの生徒一人ひとりは掛け替えのない存在ですから、個々の人格全てを受け入れつつ成長のサポートをしてきました。
ところで、私は大人になってからの人生の大半を平和学園で過ごしています。そこで学び、最も大切にしていることは、「平和は愛があってこそ実現するもの」ということです。74年前、平和学園はこのことばに表される精神に基づいて創立されました。
「神の愛を知る人を育てる学校」つまり、キリスト教主義学校です。
神の愛は平和の実現のために欠かせません。ですから、「神の愛を知り、私たちがお互いを大切にし合うこと」を伝えることが学園の使命ではないかと思っています。
さて、卒業生の皆さんに「神の愛」が伝わっているでしょうか。神の愛を知った皆さんはお互いを大切にし合って暮らしていますか。学園が伝えたことが現在の生活の中に少しでも生かされていれば、と願っています。
これからも学園をサポートしていただきたくよろしくお願い申しあげます。
アレセイア湘南中学高等学校 校長 山田 信幸
続きを読む皆さんが卒業した平和学園はご存知の通り、キリスト教伝道や宣教の使命があるミッションスクールとは異なりキリスト教の教えを基に、教育を実践する学校です。
伝道師や宣教師はおらず、キリスト教の宗教団体や各宗派が開いた学校ではないので平和学園は伝道の使命はありません。他のミッションスクールは戦前、キリスト教を伝導するため日本に不足していた女子教育と医療に力を入れて学校と病院を開き伝道活動をしました。戦後から日本は男女平等となり医療も教育も平等に誰でも受けられるようになりました。そこで戦後からは、キリスト教の愛を持って奉仕する医療と教育として受け継がれて現在に至っています。
10年前、平和学園小学校に奉職して真っ先に驚いたのが毎日、朝8時からある職員礼拝でした。特筆すべきは毎週火曜日、幼稚園・小学校・アレセイア湘南中学高校の全教職員が集まり行われる礼拝が行われている事でした。他の学校にはない全教職員礼拝です。礼拝は神の愛、イエスの愛が、集まった教職員のうちにとどまり、初めて礼拝が成立していることに気付きました。全教職員が集い、無条件の愛を理想とした教育を園児・児童・生徒に行うことを礼拝で確認し、心を一つにして1日を始める意味のある礼拝です。イエスの愛を受け、私財を投じ、平和学園を創立した2人のキリスト教信者である賀川豊彦先生・村島帰之先生が建てたこの平和学園は礼拝を通してイエスキリストの愛に駆り立てられ、愛をもって教職員が教育活動を行い、74年間継続しています。
平和学園の教育活動は、才能(タラントン)を神から与えられている教職員ひとり一人が、平等にチームとして才能を充分に発揮する場所です。神さまから賜物を与えられている子どもたちを預かり、良い教育環境をチームとして作り上げ、子どもたちを無条件の愛(アガペー)をもって教育する役割と使命が教職員にあります。
イエスの愛を持って教育を行うには私たちの意志だけでは困難な道です。理想に一歩でも現実に近づけるため、神に祈りながら教職員の知恵を結集し、保護者の支援と同窓会の協力を受けながら、夢と希望を持って前進しています。
そして今回の新型コロナウィルス対応で、困難な状況からの脱出を行う時、知識を知恵に変えることと共に歴史から学ぶことが必要となります。旧約聖書には、ユダヤ教にはユダヤ人の知恵と、人間が考えられるあらゆる善悪の行為が書かれています。神さまから与えられた律法を守る人間の生き方が示されています。新約聖書にあるイエスの教えで、無条件の愛である隣人愛が示され、私たち人間の生き方の理想の生き方がイエスの生涯として描かれ、理想を求める人の生きる道が示されています。
今回のコロナウィルスの約3か月に及ぶ休校期間で、子どもたちと一緒に生きたい。子どもに教えたい。共に生きたい教職員の強い意志があることを教職員が再確認できました。また、新型コロナウィルスに対応する先生方の苦悩と困惑と子供を守るための努力が行動として現れてきました。自分たちが今出来ることを積極的に行動することが当然であると捉え、実行し、更に、出来ないことをチームで克服し、出来るようにすることも、大事なことで、児童・生徒に示すことも教育の重要項目の一つです。
新コロナウィルス対策で経済活動の停滞、産業の衰退、企業倒産、貿易の停滞など様々な問題が起きています。歴史から学ぶと、知恵を持つものは、新しい時代に適応し、人々が必要とされる仕事に就き、創造力のある者は新しい企業さらには産業をつくってきた歴史があります。さらに日本では215年間、鎖国で生き残った歴史を持っただけではなく、独自の文化を生み出した歴史を持っています。その上、鎖国を乗り越えたあとの開国での政変にも、西欧文化にも適応し、経済的にも欧米諸国に追いつき、追い越した実績もあります。そのDNAは私たちに受け継がれています。
平和学園の歴史的存在理由は、平和学園の関係者が、平和を実現する人として生き抜く必然があり、平和を求めて行動する使命があります。平和学園は神から与えられた賜物を持っている子供たちを預かり、関わること、教えることさらに、信頼関係を築くことを喜びとする教育集団が存在しています。さらに、平和学園の卒業生が社会で人のために生きる実践者である集団が同窓会に存在します。私たち平和学園につながっている同窓会の皆様と平和学園教職員ならびに保護者は、『せめてあなた方はすべての人と平和に暮らしなさい。』(ローマの信徒への手紙 12章18節)を受けて、『せめて私たち平和学園につながる人々は、すべての人と平和に暮らしなさい。』を実現させて行きましょう。今後も同窓会の皆様が平和学園小学校の物心両面でのお支えを賜ります様お願い申し上げます。
平和学園小学校 校長 佐藤 陽明
続きを読む
今春、幼稚園の園舎が建替えされました。
これまで小学校のグランドがあった場所に新築され、幼稚園があった場所が小学校のグランドとして生まれ変わりました。
園舎は木の柔らかな温もりを感じるつくりとなっています。
遊戯室棟は十二使徒をイメージした12角形になっており、中心にはトップライトから明かりが差し込みます。
園全体を子どもたちがが走り回れるよう開口部が大きくとられ、園庭と一体となったつくりとなっています。
建築計画は株式会社洋建築企画(代表 山口洋一郎(小59))による設計デザインです。
私が平和学園小学校に転校しましたのは、1953年です。実に67年も前のことです。
それ以前は 東京都府中市のマンモス校でしたので、あまりにも違いが多く、驚きの連続でした。まず、一学年一クラスで、人数も少なく、教室も一クラスずつ離れておりました。砂地に置かれたすのこを渡り、行き来したのを覚えております。
その砂地には、夏になりますと撫子の花が咲き、その愛らしい花を見ながら学ぶという心安らかな日々でした。撫子は秋の七草の一つで、万葉集にも記されていることを知りました。とても好きになり、今でも庭に咲かせております。
また、各学年の人数が少ないため、違う学年の方々と共に過ごす機会が、色々ありました。先ず、毎朝の礼拝では小中高生が一同に集まり、賛美歌を歌います。そして、聖書を読み、お祈りをしました。この事後に私の人生を穏やかにし、また思い悩むことにもなりましたが、忘れ難い思い出です。
更に、皆で力を合わせ、松の切り株を掘り起こし、テニスコートを仕上げることも出来ました。運動会も全校生が一緒になり、春夏秋冬の生まれ月に分かれて競い合いました。
上級生の走り方に、憧れ感動したり、仮装行列でも盛り上がりました。
絵画の先生で、富士山をひたすら写生しておられた東門先生は、今でも懐かしく思い出されます。学園の敷地内にお住まいでいらしたこともあり、皆に気安く、沢山の絵を見せて下さいました。
このように、先生と生徒、下級生と上級生が隔たり無く学べたことを感謝しております。
この事は、後の人生における糧になりました。
卒業後、記念すべき賀川・村島記念講堂の献堂式で、“藤娘”を舞わせて頂きましたことは、望外の喜びでした。
現在は学園の部活で経験した卓球を、近所のクラブで楽しんでおります。また、自治会主催のサロンで、手話を指導しつつ、老化防止に努めております。
名井 敬子(旧姓木村:小54中57高60)
開催予定がありましたら、「 会員情報投稿フォーム」よりご連絡ください。
事務局では同窓会開催のサポートを行っています。
皆どうしているかな? 久しぶり会ってみたいけど…etc
開催を希望される方がいらっしゃいましたら、お気軽に事務局にお問い合わせください。
各自体調等を鑑み無理ないようにして下さい。
各自体調等を鑑み無理ないようにして下さい。
新型コロナウィルスの影響下、
学業の遅れを取り戻すため、
去る2020年5月22日、平和学園小学校教頭をされ、同窓会にも世話人として長年関わらてれていた和田扶實子先生(旧姓 武信)(1957小卒・1960年中卒)がご逝去されました。
昨年暮れに、「たとえ そうでなくても きっと人生に無駄はない」を上梓されたばかりでした。
一昨年、病気にかかられてからの日々の思いをつづったエッセイ。
自身の人生をふり返りながら大切なものは何かを、やさしく私たちに語りかけてくれているようです。
・自分の背中をみたことがありますか
・大きな手
・何がしたいの?
・我が家のスーパーおばあさん
・力のでるスープ
・サンタさんはいますか
・今しあわせですか
・家族って
・君は愛されるために生まれた
5月26日に茅ヶ崎恵泉協会にて葬儀が営まれたそうです。
続きを読む
訃報:飯野義子先生
戦後平和学園草創期から50年近く奉職され、校長、学園長を歴任
葬儀は12月27日日本基督教団大船教会にて松下道成牧師の司式
多く平和学園関係者・卒業生も参列して、執り行われました。
「旧教職員と卒業生の会」で、お別れの会を今年秋を目途に準備し
あらためてご案内申し上げます。
(当初、6月6日で準備を進めておりましたが、今般の新型コロナウィ
追記・・・お別れ会については、感染状況を鑑み2021年に延期となります。
続きを読む12月7日(土) 13:30~15:30
本日、平和学園賀川村島記念講堂で毎年恒例のクリスマスチャリティー・パイプオルガンコンサートが開催されました。
あいにく小雨が降り寒い一日となりましたが約500名の来場がありました。
このチャリティーコンサートは今年で34回目になります。
オルガンには後藤香織氏、そしてバレエダンサーとして野村和夏子氏をお迎えし、くるみ割り人形をはじめとする聖夜を彩る数々の楽曲で聴衆を魅了しました。
ご来場の皆様にはチャリティーにもたくさんご協力頂き、収益金を茅ヶ崎市内の児童養護学校へ寄付をさせて頂きます。
続きを読む
平和学園小学校でこの4月から校長の役割をさせていただいている佐藤陽明です。
同窓会の皆様には優しい眼差しで平和学園を見守っていただいていることに感謝しております。ありがとうございます。
賀川先生・村島先生の強い意思であるキリスト教の実践教育を引き継ぎ、歴史から学ぶ姿勢と、歴史を進歩させるために歴史が存在することを忘れず、児童の命と成長を第一として、教職員と保護者全員の力で進歩する小学校でありたいと思っています。賀川先生の生き方は、聖書に書かれている、『よきサマリア人』を理想としています。
具体的には、イエスが行った隣人愛の実践につきます。無条件の愛を基本とした教育を、児童と共に育み、茅ヶ崎の地から創立者の強い思いである実践の重要性を発信したいと心から願っています。
小学校の教育は自己肯定感をすべての教職員、児童と保護者に持っていただくことから始まります。自由であること、この平和学園が自分の居場所であること。その安心感と自己肯定感により、神さまに感謝しつつ、失敗を恐れず積極的に前に歩むことができます。自己肯定感を継続し、その集大成が卒業論文です。6年生全員の各個人が自分の一番興味ある事を卒論として発表し、自分を理解してもらうための努力をします。そして、友だち一人ひとりが大事にしていることを卒論の発表で知り、人への理解を深め、卒業していきます。
教育の目的は人を自分と同じように愛し、人を良く理解し、人と信頼関係を持つことです。人を理解する力を持つと、信頼関係が生まれ、社会で生き抜くことが可能となります。そこから人に必要とされ、人を支え、人に支えられて自分らしく生きることができるようになります。
教職員は幼稚園の教職員と共に、人を支えられる豊かな人間になれるよう、毎日職員礼拝で神に祈りをささげています。
コミュニケーション能力も信頼を得るためのツールとして捉えています。任せられる人と任せることができる人になることがこの世の中を生き抜く知恵だと考えて様々な行事を行っています。特に小学校は、少人数教育で深い信頼関係を持ち、学校行事を通し、各自が役割を果たすことで社会が成り立つことを学んでいます。一つ一つの行事で子どもたちが個々成長することを確認しながら教育を実践している教職員と保護者を今後ともよろしくお願いいたします。
最後にこの「まつかぜ」をお読みの同窓会の皆様と読者へのお願いがございます。
社会人として、卒業生としてのお願いです。どうか平和学園小学校に皆様一人ひとりができることをお示しいただき、肯定感のある前向きな知恵をお貸し願いたいと願っております。今後とも、ご指導の程、よろしくお願いいたします。
同窓会の皆様のご活躍をお祈りしております。
平和学園小学校校長 佐藤陽明
- 学歴・職歴
1951年7月13日 東京生まれ
青山学院初等部~青山学院大学経営学部卒業(16年間青学在籍)
1972年(大学生2年次)プロカメラマン
1973年(大学4年次)東京放送(現TBS)契約社員
1974年2月(大学4年在学中)岩手県岩泉中学校常勤講師(教科:数学・理科・保健)となり、大学卒業後も勤務を継続。5月より岩泉町教育委員会に採用。岩泉小学校月出分校(3級僻地)に常勤講師として赴任。2年担任経験後、3年・4年複式学級担任となる。在職中に岩手県教育委員会僻地研究部会で「語彙不足の研究」(『語彙不足と知能の関係について』)を発表。
1976年(株)美光写苑・研究所・写場に勤務。
1977年関東学院六浦中学高校教諭(社会科)。
1992年より関東学院大学経済学部及び文学部で中高教職科目・公民科教育法を10年間担当(六浦中高と兼務)。関東学院短期大学で2年間『課外教育の研究』を担当(大学・六浦中高兼務)。2002年退職。
2002年から2009年の7年間で、塾・教室・教育相談(三軒茶屋)・犬山市で国際観光旅館ホテル総支配人を経験。その後、横浜で医療法人明生会顧問・銀座の一枚の絵(株)企画部顧問等を経て、2009年、目白の日本聖書神学校ブライダルの総支配人に就任。
この間アレセイア湘南中学高等学校の社会科非常勤講師を兼任。2011年1月から2019年3月まで平和学園小学校教頭。2019年4月より校長。