思い出 畠山朋美(1989高)
思い出 畠山朋美(1989高)
はやりの?断捨離で卒業証書以外アルバムや写真を処分してしまいました。が、思い出はまだしっかりと記憶に残っているので思い出話を。
生まれも住まいも横須賀の私が、茅ケ崎の電車で1時間半もかかる平和学園に入学したいと思ったのは「制服が、かわいい!」と見学に行ったときに対応してくださった先生の礼儀正しさ。ぼんやりと「ここに入ろっかな~」から「絶対合格する」に変わった瞬間です。
私が入学したのは1986(昭和61)年4月。平和学園高等学校。先輩の制服は茶色。私たち新入生は紺ブレに千鳥のスカートで制服。1年の時は制服が先輩たちと違うわけですからとにかく目立つ。中学は休校中でしたので、全員入学試験を合格した生徒ばかり。数学、英語、理科はレベル別で教室が分かれていて、私が1年生でいた校舎は1年生6クラスの入っている2階建て。英語は6段階に分かれていてその6クラスが上を下への大移動。
1年生の時の教室は幼稚園の校舎が見えるところで、幼稚園の子たちが幼稚園の校舎の裏の傾斜を確か5人くらいで登って私たちの教室を窓越しにニコニコと覗いていたことがあります。ずいぶんのびのびとした幼稚園と思ったことと当時定期の学割の許可書をもらうのに歩く事務室への道をまたいで高校の校舎と幼稚園の校舎があってその小道から見ても傾斜が強いのによくもまぁ~幼稚園の先生の目の届かないところで高校の授業を見学に来たものだなぁ~と思ったものです。
1学期の体育は、校庭と体育館と先生が分かれていて校庭の体育の先生は、鈴木和具先生(ゴリさん)。みっちり、お辞儀の仕方を指導されました。入試を考え見学に行ったときに学校案内をしていただいたのも実はゴリさん。
毎月1回金曜日の、LHR.全校で漢字テストがあり1年から3年まで全員同じ50問。そのあとは「私たちのエチケット」という教科書を使いエチケットの授業。
この授業どちらも在校中に何か思ったことはありませんでしたが、高校卒業してすぐ就職した私はお辞儀の仕方やエチケットで会社から褒められ、感謝しました。
図書室も思い出が多い場所です。司書の先生が常にいて、お茶を出してくれて喫茶店のよう。特に本を読むわけではありませんが同級生と家が近いわけではないので下校時間ぎりぎりまでおしゃべりしたり宿題を一緒にやったり。テスト前には苦手な教科の(私は特に数学と英語でしたが)先生にお願いしてテスト範囲の分かっていないところを教えていただき放課後にもかかわらず、先生方もとことんまで付き合ってくださいました。
平和でのほかの学校と違うと思われる点は、毎日の礼拝。授業で教わったことのない先生でもどんな声でどんな感じで話しをするのかを知ったのは礼拝のおかげです。1,2,3年すべてに宿泊があること。せいぜい修学旅行だけと思われる宿泊。平和には、修養会という聖書を学ぶ宿泊があり授業の一環とはいえなんだか楽しいものでした。3年の宿泊でクラスの代表一人がみんなの前で作文を読むということに修養会前から取り組んでいて、いつも明るいあの子が実は退学をしようか悩んだこと、すごく仲良かった子が日本人と韓国人のハーフで小学3年の時に韓国から日本に来て小学1年に転入。だから実際は、みんなより3歳も上。日本語を覚えるのに国語辞典をノートに全部書いて必死に覚えたと、知りました。もし、修養会がなければ知らないままだったかもしれません。
私の高校時代は世の中の大きな変化にも直面した時代でもあり、入学したときは「国鉄」だった電車は、昭和の最後に「JR」に変更。卒業間際に「昭和」から「平成」に。チェルノブイリ原子力発電所の事故は1年生の修養会の最中でした。三原山の噴火、世界で「エイズ」という病気も深刻化して保健の授業でも学んだことを覚えています。
学校は、講堂にパイプオルガンが入り、学園創立40周年。土屋虎男先生がご逝去、その後校長だった飯野義子先生が学園長兼任。卒業式前日か前々日の礼拝でゴリさんが「私のことを『ゴリさん』と呼ぶ生徒がいなくなる」とおっしゃったのに驚き!真正面から「ゴリさん」と呼んでいる生徒はいなかったと思われますが、先生このあだ名気に入っていたんだ~と。(私の下の学年から「ガッツ」だったらしい)高校ですから、退学した同級生もいましたが、バイク事故で高校3年の12月クリスマスを目前に旅立ってしまった同級生。就職も決まっていたのに本人も後悔しているのではないかと今でも思います。
現在の藤本朝巳学園長、山田信幸中高校長は私が生徒の時の先生。藤本先生には直接教わったことはありませんが留学に行かれ教員になっても留学をする先生っているんだなぁ~と思った覚えがあります。
校友会で平和学園のお手伝いをさせていただき、50歳を過ぎた私でも当時の先生方がまだいらっしゃることは私学の強みだとつくづく思うのです。これからも平和学園を卒業した生徒という誇りを持ち人生を謳歌したいと考えております。