小川稔さん(1967年小学校卒業)

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小川稔さん(1967年小学校卒業)

最初の『同窓生の今を見る』では、茅ヶ崎市美術館と松本市美術館の館長を務めている小川稔さん(1967年小学校卒業)にインテビュー形式でお話を伺いました。
今後も卒業生の皆様に投稿記事として、近況やメッセージを頂いてまいります。

茅ヶ崎市美術館の館長には2008年に就任し11年目になります。6年前からは松本市美術館の館長を兼任しています。美術館長としての主な仕事は、美術作品を集め、展覧会を企画して、展示物をお客様に説明することです。また、茅ヶ崎と松本を行き来する時間の合間を縫って、作品の説明や論評などを執筆する忙しい毎日を過ごしています。

昨年は、小原古邨(おはらこそん・木版画家)の展覧会の企画により、茅ヶ崎市美術館はじまっての以来の多くの来館者があり、全国的に茅ヶ崎市美術館が注目を集めました。小原古邨は国内ではこれまであまり知られていませんでしたが、海外では根強いコレクターがいるそうで、今回の企画により国内にその名が広く知れ渡ることとなりました。

茅ヶ崎市美術館のホールにて

 

平和学園小学校を1967年に卒業し、その後、第一中学校、玉川学園、東京芸術大学へと進学しました。
最初に美術の世界に興味を抱いたのは、小学校4、5年生の頃、当時、講師として美術の授業をされていた安沢鈴子先生との出会いでした。もともと子供心に絵を描くことは好きでしたが、自分が描いた絵を先生が手直しされると、自分の絵が見違えるように素晴らしい絵になるのを見て、その先生の持つ繊細な色彩感覚に驚嘆し、絵画の魅力に引き込まれて行く感覚を覚えました。クラスメイトの遊び仲間が安沢先生の自宅に絵画を習いに通っているのを聞いて一緒に習いに行きました。

その後の高校時代を過ごした玉川学園の自由な校風の中で、好きな絵画に没頭した機会も影響し、さらに美術について深く学びたいと東京芸術大学芸術学科に進学し、以前より興味のあった日本美術史を学びました。
大学を卒業したあとは、興味のある美術関係の仕事には就かずに、父親が経営していた銀座の飲食店でマネージャーとして働き始めました。代々家業が新橋の老舗の飲食店だったこともあり、家業を継ぐつもりで入社しましたが、残念ながら15年程で店を閉めることになりました。

ちょうどそのころ平和学園の同窓生からの紹介が縁で結婚をし家内の関係から、出版会社に勤めはじめました。その出版会社では美術品の図録を作成する仕事をしていましたが、3年くらい経ったころ、茅ヶ崎市美術館の館長をしていた大学時代の先輩から「館長を引き継いでもらえないか。」との声がかかりました。美術の世界から足が遠のいており不安がありましたが、「茅ヶ崎では史学に精通したのはお前しかいない。」との言に背を押されたのが、現職との縁でした。

長年、平和学園の同窓生とは疎遠にしていましたが、茅ヶ崎市美術館に勤めてから多くの同窓生と再会し、当時の友人も各分野で活躍していて、その縁は現在の仕事に大きく役立っています。

平和学園小学校では、心豊かな子供を育てるため、英語教育、美術や音楽などの情操教育、そして聖書を通した倫理教育に力をいれていたので、海外や各界で活躍する友人を見て平和学園の自由な校風と教育の影響を感じています。

追伸 安沢鈴子先生との連絡がその後途絶えており、もし消息をご存知の方がいらっしゃいましたら事務局までお知らせください。

茅ヶ崎美術館は平和学園の卒業生である山口洋一郎さんによる設計デザイン

 

《お話を伺って》
子供の頃は特に志も無く、塾に通うこともなく、毎日友人と遊び回る日々。人生で唯一もらった賞は大塚秀雄小学校校長から授与された小学校生活6年間の皆勤賞と中学校3年間の皆勤賞で、成り行きの人生を送って今があると謙遜をしていましたが、平和学園での先生との出会い、芸大への進学と美術に関する造詣の深い学び、父親の会社でマネージャーとして修業した経験や、さまざまな縁が今の仕事つながっていると感じました。

今後も、小川さんが益々活躍し、茅ヶ崎の文化的発展にさらに寄与されていくことを応援しています。