平和学園理事長職を振り返って
平和学園前理事長・平和学園小学校同窓会前会長
山口洋一郎(1959卒)
2019年3月に12年間の学校法人平和学園の理事長職を退任いたしました。
在任中は、同窓会の皆様には多大なるご支援ご助力をいただき、厚く感謝いたします。
私は、平和学園小学校を昭和34年に卒業しました。
学校法人平和学園に関係するようになったのは、約25年前に、平和学園小学校同窓会長となって5年程過ぎたころ、同窓会長という立場で理事の末席に並ばせていただいたのが始まりです。
はじめは、全く違う世界でしたので戸惑うばかりでした。
しばらくして平和学園創立60周年を迎えることになり、理事会からその実行委員長を仰せつかりました。
今から思うといくつものイベントを前年と60周年の年に企画実行しました。
長らく女子校だった中高が共学のアレセイア湘南となったことを含めて、平和学園・アレセイア湘南があまり地域社会に知れ渡っておらず, 生徒数も漸減傾向にあって、経営的にも赤字の状態でした。
まず、地域の人たちに学園の門をくぐってもらおうと、プレと称して前年に平和学園に関係のある登山家三浦雄一郎さんを、そして60周年には養老孟司さんを招いての講演会(約1200人来場)を開催し、そして年末のパイプオルガンコンサートに同期の沼尻さんをウィーンから招聘したり、今までの学園で行ってきた平和祭等の行事のブラシュアップをしたりと、かなり盛りだくさんの計画をしたのを記憶しています。
傍で支えてくださった夏村理事長が、終わった年に、こう話しかけてこられました。
初代学園長村島先生の「いつかこの学校卒業生が理事長になってくれれば」とのお言葉を実現したいということで私に理事長就任の要請がありました。
1年間悩んだ末に、お引き受けすることにいたしました。
就任当時、学園は前述のように大変な状況でした。同じ年に学園長となられた中山学園長はこの危機を打開すべく「アレセイアクォリティー」という目標を掲げ、先生方のご努力により生徒の生活態度は著しく向上していきました。
その目途が立った後、今度は学業の充実を図って国際英語塾を開設し、現在のグローバル教育へと発展していったのです。
バスケット部の強化も欠かせない施策でした。中山学園長の功績は大なるものがあると考えております。私は、中山先生の施策の後押しをいつもしてまいりました。やっと3,4年前から学園は黒字に転換し、活気ある学校に生まれ変わってきたと思います。
私は理事長になって、一番力を入れたのが地域社会に可愛がられる学校になってほしいということでした。
私が地域社会と深くつながっていたこともありますが、茅ケ崎市唯一の私立学校が地域の方々に応援してもらえるようにならなければ存立は危ういと思いました。
理事長就任後、後輩の倉澤会長に同窓会長をお願いしました。
倉澤会長には晴天の霹靂だったと思いますが、茅ヶ崎市の地域社会で活躍をされておられるその人脈が、学園を更に地域社会に根付かすことになっていると思います。
同窓会活動の安定した運営と、同窓会の連合体である校友会が主体になってのジャズコンサート、パイプオルガンコンサートの実施をはじめ、小学校にとどまらず学園理事として学園のクォリティーを高める為にご尽力いただいております。
私は、学園での生徒礼拝でいつも学園をHOMEと思ってほしいと話してきました。
HOMEはそれぞれが、長い人生の中で心のふるさと、帰るところだという意味です。
平和学園アレセイア湘南で学んだこと、すなわち、勉強だけでなく、「人を思いやる心、人のためにつくすこと、平和を実現すること」を思い出し、立ち返るということ、それがHOMEです。平和学園を誇りとするとはそういうことです。
学園を誇りに思い、地域社会で活躍されている卒業生が、これからの平和学園をしょって立っていってほしいと思います。
教育者はもちろん重要ですが、教育界ではない、一般社会に生きてきた卒業生が理事長職を担うことが、学園の経営と学園長の担う教育をバランスよく発展させるのに必要だと思います。
平和学園同窓会は、同窓生の懇親の場を作ることはもちろん大切なことですが、誇りをもってともに学園の発展のためにご尽力いただくのも大きな活動の柱であると思います。ぜひ、今後とも皆様が学園を支えていただくよう切にお願いする次第です。
感謝とともに。